週末にマックの調子が悪くなり。まぁ、いろいろやったけど修復できず。
どうもOSがおかしいっぽい。で、結局、既存のシステムでは立ち上がらなくなり、あえなくOSインストし直し。もちろんデータは飛びました。書類や画像関係はバックアップとってあったのですが、何がいたいって、iTunesです。
あいたたたた。。
まぁ、いまだにCD派なので、だいたいの元CDは日本にあるからいいけど、、でも、、でも!ショック。何GBあったろうか?さよなら私の音源達よーー。
ショックを隠しきれず。その後、iPodに入ってるデータを逆にマックのiTunesに逆同期成功して、なんとか主力選手(?)の救出はできたんですけど、それでも、、、いたい。
こういのって、やっぱり、執着しすぎはよくないですね。たまには手放すことも学ぶ必要があるのだ、、と思うことに。
そして、週末、丸一日以上ネットにつながらず、PC使えない生活を余儀なくされたのですが、、。
なんか、妙に孤独感を感じましたね。
変な話、電話だってあるし、何だったら直接出向く等のこともできるのですが、なぜか、何かあった時にネットに頼り切ってたので、その”ホットライン”的なものが切れたので不安に感じてたんですかねー?島流しにされたような。遮断されたような気分でした。
これは、現代人が抱える闇ですな。いや、病、か?
そんな時、タイムリーに読んだのが北村薫さんの「ターン」という版画家の女性が主人公の小説。
今まで、小説には画家とか彫刻家は出てくるけど、版画家は珍しいですよね。版画の本を読んでたらこの本が紹介されていて、読みたくていてもたってもいられず、市内でも日本の蔵書量が多い図書館のブランチへ閉館10分前ぎりぎりに駆け込み借りました。(サンフランシスコでも日本の小説が読みたい時に読めるって幸運ですなー。)
話は、版画家の女性が事故に合い、どこか異次元に飛ばされたようで、それから毎日同じ日を繰り返す、という内容ですが、その繰り返しな世界には人間は彼女しかいないのです。毎日、毎日、時間が来るとリセットされる代わり映えのしない日々。
読んでいて、これはある意味とても恐ろしかったです。
洗濯したって掃除したって一日経てば結局もとに戻るわけで。例え版画を摺っても、翌日になればそれは消えてしまい、また0からやり直しになる。日記すら書けない。書いても次の日になると消えてるわけで。そうなると、いったい行動に何の意味があるのか?ということになってしまいますね。ましてや誰も存在しないとなると、なおさら何にも価値が見いだせなくなりますね。ものすごい怖いです。
いろんなことと自分を重ね合わせて読んで、つい入り込んでしまいましたが。
あまり関係ないですけど、偶然にも主人公は私と同じく版画をやっていて(しかもメゾチント!)、さらに私と同じ名前でした。しかも、私が生まれ育った場所の隣町が出てきましてこれまたびっくり。(かなりマイナーな所なので)
最後に、彼女が毎日繰り返される同じ日々に嫌気がさしていたけど、不毛なのはこの日々ではなく、自分自身だったと気がつくわけですが、、。
その最後に彼女のとる行動が凄く納得というか、そうだよな、と強く共感して、読んでいて泣けてきました。
誰にも見られないとわかっていても、何も残らないとわかっていても、やはり、がんばって摺ろう。という気になりました。
よし、ではカルピス飲んでがんばります!